柳鍼灸整骨院

腰痛や肩こりは品川大井町にある整骨院で
体に優しい整体、鍼灸治療、リハビリを

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  • 2009.01.28 Wednesday
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幸福の木

 
   
 


およそ6年前に開院祝いで友人・先輩に頂いた幸福の木がある。この木は凄い。

普通、幸福の木というのはせいぜい1m程度のものだ。私が頂いたときには確かにそのぐらいであった。大切に水、肥料をやって育てていると、その後すくすくと育ち現在は2m以上になった。
3年ほど前、その幸福の木の葉の間からねばねばとした蛇のような茎が伸びてきた。見た目がグロテスクで何か不吉なものにさえ思え、私は気持ち悪くなり切り落とした。愚かである。その頃、来院されていた農学部出身の患者さんにそんな話をしたら「なんてことをするんですか、それは花ですよ。滅多に咲かないのにもったいない」と叱られた。残念な事をしてしまったと思っていたが、翌年に今度は蛇みたいな茎が6本ぐらい伸びて、とても小さな花が乱れ咲き状態になった。幸福の木は「ドラセナ」というハワイ代表樹らしい。花が咲くとなんとも甘い南国情緒のある香りが立ち込める。花は昼間閉じているのだが夜になると大きく開く。数日で散ってしまったのだが楽しい気分であった。

花を咲かせた後、この幸福の木は一気に元気がなくなり、葉っぱも枯れてへたっていた。この冬頃にはいよいよ葉っぱも少なくなり、観葉植物としては無理のあるスカスカの状態になった。しかし頂き物であり、ぞんざいには出来ない。全くの素人ではあるが、枝を間引き、いくつかの元気そうな株に栄養が行き渡るようにしてみた。そして最近「少し元気になってきたな」と眺めていた。するとその時、妙なものが目に留まった。蛇茎である。しかも8本も噴出している。間もなく開花の気配である。

幸福の木に花が咲くとは、決勝戦前に縁起のいい話である。

 
 

決勝へ!!

 
   
 
私がアメリカンフットボールのコーチを務める富士通フロンティアーズがパールボウルトーナメント(春の社会人関東ナンバーワンを決める大会)の準決勝で強豪・オービックシーガルズを破り決勝に駒を進めた。春から「タックル・ブロック・ボール」を掲げて頑張ってきた我々には何か光明の見える試合内容であった。

試合開始早々のキックオフでまたもや「シミケン」と呼ばれる恐ろしいランナーにロングゲインを奪われ、先制を許した。真っ向勝負を挑んでやられた訳で、ある意味仕方ない。いきなりのビハインドとなったが、早く追いつくこと、そして同じ形から「シミケン」にやられないことが大切であった。その後すぐに反撃して逆転したが、試合はお互い点を取り合う白熱したシーソーゲームになった。途中点差を最大8点離されても、私には「何とかなりそうな」感覚が常にあった。フットボールでは攻守の第一列が1プレー毎にガンガンと当たりあうのだが、その第一列(ライン)の攻防が優位に進んでいた。特に守備ラインがよく頑張っていた。「タックル・ブロック」をテーマに掲げて強く当たる練習を増やしてきた成果を感じていた。
そして気持ちもこもっていた。この試合前、いくつかのポジションでは怪我人が多く、ギリギリの陣容で臨んでいた。かなり無理をして強行出場している選手もいた。途中負傷者が相次ぎ、攻撃ラインは交替選手がいない状態になった。まあ強い相手と戦うときにはこんな綱渡りや「いっぱいいっぱいの勝負」はつき物ではある。攻撃ラインは日頃の厳しい練習で培われたスタミナを発揮して、まだまだ未熟ながら泥臭く頑張っていた。

そしてこの試合の最大の成果は「ボール」に象徴されるパス攻撃であった。最近WR(ワイドレシーバー)の選手たちは全体練習が終わっても延々と基本的な捕球練習を繰り返していた。地道に何度も同じ練習を繰り返している姿に感心して見ていることがよくある。昨年までは「素材はいいのに落球が多い」と感じていた私はそんな選手が確実に捕球してオフェンスを進めていくさまがとても嬉しかった。

結局、試合はディフェンスが苦しい場面を何度も凌ぎ、キッカーが「シミケン」を機能させずにゲームを接戦に持ち込み、ゲーム終了間際に鮮やかな逆転勝ちを収めた。チーム一つになって勝利をつかみ、チーム一つになって次のステージに進んだ。決勝の舞台にはたくさんの「成長のきっかけ」が転がっている。楽しみである。いい練習をして、いい状態で選手を決勝の舞台に送り込む。そして練習してきた「タックル・ブロック・ボール」の基本を実践して素晴らしいゲームにしたいものである。

 
 

準決勝

 
   
 
私がアメリカンフットボールのコーチを務める富士通フロンティアーズがパールボウルトーナメント(春の社会人関東ナンバーワンを決める大会)の準決勝に駒を進めた。今週の土曜日に決勝進出を賭けて、強豪オービックシーガルズと対戦する。

オービックシーガルズとの前回の対戦は昨秋。我々は気合、執念のみで勝利を手繰り寄せるような勝ち方をした。我々は序盤から致命的なミスを犯したり、最も注意すべきキープレーヤーに縦横無尽に走られたり、内容的には問題もあった。また戦力を比較しても明らかに劣勢であったが、我々は最後まで「強い気持ち」を絶やさずに厳しいゲームを闘い抜いた。守備陣はどう考えても相手に流れが傾きそうな場面で魂のこもったハードヒットを連発して守り抜き、攻撃陣は数少ないチャンスをものにした。この試合はフロンティアーズにとっては大きな「きっかけ」となり、その後チームは大きな成長を遂げた。

選手個人の成長も、チームの成長も少しずつ積み上がっていく時と、どこかでぼーんと跳ね上がる時がある。何かの「きっかけ」で跳ね上がるのであるが、選手個人の成長で言えば「なるほど・・・こういうことなのか」と腹に落ちたり、「これではだめなんだ」と心底学んだりすると変われる。コーチの仕事というのはそんな「きっかけ」を作り出したり、目の前にある「きっかけ」に気付かせてあげることとも言える。ゲームの中にはそんな成長の「きっかけ」がたくさん転がっている。多くの引退者を出して若返ったチームが、春の時点でオービックのような強豪チームと対戦できるのは素晴らしいことである。

今春、我々はフットボールの基本「タックル・ブロック・ボール」に立ち返り、春から基本練習を繰り返してきた。その「やってきたこと」を余すところなく発揮するゲームにしたいものである。その結果が「やれる」という「自信」になっても、「まだまだだ」という「勉強」になったとしても、それはどちらも大きな成長の「きっかけ」には変わらない。とても楽しみである。そして更なる「成長」の場、決勝戦に是非駒を進めたいものである。

 
 

たこ焼き屋

 
   
 
<前回よりつづく>
大学を卒業してリクルートに就職したのはちょうど20年前になる。私からするとついこの間のような気がするが、当時生まれた子供が成人しているわけで大昔とも言える。
以前リクルートに内定した患者さんと話をしていると「いい会社に内定して親も喜んでいる」と言っていたのを聞いて隔世の感があった。今でこそリクルートも大企業であるかのように見えるが、私が入社したころのリクルートというのは「山師」の集まりのような新しい会社であり、仕事がハードで離職率の高いことで有名であった。多くの保護者は子供の就職先として歓迎するような会社ではなかった。

さて、社会人生活への大きな期待に胸を膨らませ、私は上京した。私の配属先は当時リクルートが社運を賭けて立ち上げていた新規事業で通信ネットワークの営業部であった。昨今よく耳にする「パワハラ」という概念が当時存在していたら一日で解散しなければならないような恐ろしい営業部であった。社内の凄腕営業マンが召集され、営業魂みなぎる厳しい職場であった。気合の抜けた若手営業マンの顔面に平手がみまわれる場面もあった。私は名古屋大学応援団団長あがりの課長、明治大学応援団副団長あがりの係長の下、厳しく営業のいろはを叩き込まれた。仕事に対する心構えから仕事の仕方など本当に多くのことを学んだ。それはまったく畑の違う今の仕事でも生きていると思う。余談であるが、私はいまだに「はい」と返事する場面で「押忍(おす)」と答えてしまうことがある。当時、2人の上司は部下の報告に対していつも「押忍」と返事をされていた。会議中も「押忍」は公用語であった。私も気合を見せる場合には発言の最後に「押忍」をつける習慣が身についていた。「三つ子の魂・・・」の社会人版である。

そんな営業部の新人研修であるから穏やかに座学をしているわけもない。営業の基本は「飛び込み」「新規開拓」である。入社2週間程度の小僧がきちんと商品説明など出来るわけもなく、とにかく「名刺」をもらってこいという話になる。当時、証券会社などでよくあった新人教育である。40人近い新人営業マンに獲得した名刺の枚数を競争させるというキャンペーンが一ヶ月間に渡り行われた。当然、私は応援団出身の上司にこのキャンペーンの優勝を絶対の使命として課されていた。私にあてがわれたテリトリーが人形町、四谷三丁目であり、この町の本当に隅々まで練り歩いていた。雑居ビルの最上階まで上がり、一件一件訪問して下っていく。「セールスお断りの札が見えないのか!帰れ!」と罵声を浴びたり、目の前で名刺を捨てられたり、まだ右も左もわからない新入社員には滅入る仕事であった。

へろへろになりながら私は何とかキャンペーンに優勝した。勲章と言うようなものでは決してないが、その後の人生に少なからずいいものを残してくれた気がする。例え気の向かない仕事であっても根性をすえて、本気で臨まないと全く相手にされないことがよくわかった。そして今にして思えば、あんな風に飛び込みに明け暮れていなければ、たこ焼き屋のおじさんを見ても「大変だな」と感じても、「気合を注入される感覚」は持ち得なかったであろう。たこ焼き屋のおじさんは熱い。

街行く新入社員たちとたこ焼き屋のおじさんが重なって、久しぶりに大昔の事を思い出した。

 
 

たこ焼き屋

 
   
 
院の近所に熱い「たこ焼き屋」がある。
たこ焼きというものはそもそも熱い。不用意に口に入れるとたこ焼き内部のトロリとした部分がとてつもなく熱く、吐き出すべきか吐かずにそのまま口の中で「ホロホロ」と熱いものを転がして耐えるべきか悩むことがある。多くの場合、吐き出すことはせず、何とか温度が下がったところで食べてしまう。しかし大抵は口の中をやけどしてしまう。同じことはカニクリームコロッケでも起こる。どうでもよい話である。

さて、この店は北海道から上京した3人の中年男性が営んでいる。チョイ悪とは対極にある泥臭い40代後半の男達である。たこ焼き屋も昨今は「銀だこ」をはじめチェーン展開、あるいは屋台とかトラックを改造して身軽に営業することが多いが、この店は「北海道のたこ焼きで勝負をしに上京した」(店長談)と言うだけあって必死である。たこ焼きといえば明石だろうと思いながら聞いていた。この店はビールなどアルコールを出すたこ焼き飲み屋だが、暇そうな客が話しかけても大して話し込むことなく、一心不乱にたこ焼きを焼いている。3人とも不器用な感じの人である。

また彼ら3人はシフトを組み、大井町駅前で夕方暗くなり始めた頃から夜九時過ぎまで交替しながら必死にビラを撒いている。開店間もない頃ならまだしも、もうかれこれ2年近く雨の日も雪の日も欠かさずやっている。居酒屋の若いバイト店員がティッシュなど配っているのは全く気にならないが、40代の泥臭いおじさんが「北海道の美味しいたこ焼きです。よろしくお願いします」と声をかけながらビラを撒いていると多少気になってしまう。私は時々この店には行くので会うと「先日は有難うございました。またお願いします」などと言われ「すいません。また行きます」と冒頭に「すいません」とか付けてしまったりする。この中年男たちの必死な姿には頭が下がる。とある患者さんが「えらい熱心なおっさんらがやってるたこ焼き屋ありません?いつも頑張っているんで、この前ついつい行ってしまいましたわ」と言っていた。そんな風に感じているのは私だけではないのだなと少し嬉しかった。

私は「お呼びでない」状況下で必死に営業活動をしている人に弱い。院にいると時々訪問セールスがやってくる。面構えのいい営業マンが来た場合に手が空いていれば応対する。名刺交換をして「5分で商品説目をしてくれるか」とリクエストしたりする。必死で堂々とした営業マンは邪険にできない。それは社会人1年目の頃のことを思い出してしまうからである。ちょうど20年前の今頃、私は4月18日〜5月18日まで1ヶ月間、毎日毎日飛び込み営業だけをしていた。当時テリトリーとして練り歩いた四谷三丁目、人形町を通り過ぎると今でも必ず当時を思い出す。
<続く>

 
 

趣味・猛虎

 
   
 
趣味は何かと問われると「猛虎」と答えている。そう、言わずと知れた阪神タイガースである。

今年は開幕から快進撃を続け、9カード連続負け越しなしの恐ろしい強さを見せ付けている。投手の層が厚く、野手もそれぞれに持ち味があり、素晴らしいチームに仕上がっている。また昨夜の巨人戦では岡田監督も絶不調の今岡を終盤の大事な場面に代打で起用して、見事タイムリーが出るなど渋い采配を見せている。「今年こそは・・・」と期待させる。

しばし薀蓄を垂れる。
思えば1985年の日本一以降、星野仙一監督の登場まで阪神ファンは長い冬の時代を送ってきた。その間、92年に一度だけ突然変異のようなことが起きた。亀山・新庄などの新戦力が台頭して旋風を巻き起こし、リーグ優勝に王手をかけた。ヤクルトに勝てば優勝という試合が神宮球場であった。私はその時、球場にいたのだが、当時野村監督率いるヤクルトにサヨナラ負けを喫して夢は散った。サヨナラの瞬間、球場全体が静まり、次の瞬間阪神ファンが荒れだした。私の隣にいた男が「俺の人生、何でこんなんなんや!」とメガホンを叩きつけて泣いていた場面が今でも私の脳裏に焼き付いている。阪神ファンの中には人生そのものが阪神のような狂信的な人もいる。
その後、ノムさんの監督就任が転機となった。星野さんもコメントしていたが、今日の礎を築いたのはノムさんである。いい加減極まりないチームに「ID野球」と呼ばれるしっかりした野球を根付かせようとした。少しずつ選手が育ち、これからと言うときにサッチー夫人の問題で野村監督は失脚した。野村監督が育てた矢野捕手、自ら発掘してドラフト4巡指名した赤星外野手は現在のチームの要であり、彼ら抜きでは現在の阪神は語れない。
野村監督の辞任後、阪神のフロントは中日監督を辞任したばかりの星野仙一氏を引っ張ってきた。これだけは大きな功績であった。阪神のフロントというのは腰抜けであった。例えばドラフトでは取りやすい選手ばかり指名していた。「そんな選手ドラフト3巡目でいいだろう」という選手を平気で1位指名していた。またFA市場でも目玉選手からは相手にされていなかった。野村監督はそんなフロントをぼやきながら、何とか一流半の選手をやりくりしていた。星野監督は違った。虎きちが集まる呑み屋で会う、星野仙一後援会理事のおじさん曰く「星野は凄腕のビジネスマンや」の通り、星野監督は自らFAの金本を口説いたり、自らの人脈を駆使して助っ人外国人を引っ張ってきたり、フロントにもまともなドラフトをさせるようになった。最近は鳥谷などドラフトの目玉も取れるようになった。こうして阪神の戦力は整備されてきた。

一方現在パ・リーグでは、野村監督率いる楽天が健闘している。野村監督は相変わらず、限られた戦力をやりくりし、ぼやいている。40歳の四番、2年目のエース、頭が悪いと酷評される2年目のキャッチャー(このキャッチャーは大学生の頃、当院の患者さんでもあった。本当にいい奴)。戦力的に見劣りしながらも、必死に力を搾り出して戦っている姿は気持ちいい。そしてちょっと前の阪神と被って見えてしまう。是非、阪神―楽天の日本シリーズが見たいものである。

今の勢いそのまま、阪神がシーズンを駆け抜け、23年ぶりの日本一に王手をかけた暁には院のベッドを片付け、院の白い大きな壁にプロジェクターで映像を流し、パーティーをしましょう。

 
 

 
   
 
すいません、ここのところどうにも書くことが思いつきません。お休みです。来週は頑張ります。

 
 

 
   
 
すいません、お休みです。

 
 

 
   
 
すいません、お休みです。

 
 

全開2

 
   
 
今から1年程前、私は武蔵中原駅前をズボンのチャック全開で歩いているところを見知らぬ男に指摘してもらったという素晴らしい話をブログで紹介させて頂いた(2007/5/22更新分「全開!」http://yanagiseitai.jugem.jp/?page=4)。それ以後、私もそんな場面に遭遇した際には知らん顔をせずに、こっそり教えてあげようと思っていた。実際半年ほど前に山手線の駅で中年のおじさんにすれ違いざまこっそり教えてあげたことがあった。おじさんは「これはいかん」と言ってその場でチャックを上げていた。

先週、電車にのって席に座っていると目の前のズボンのチャックが開いていた。ここは親切に教えてあげようと思ったが、腰周りのシルエットがやや違う。ぱっと見20代の女性である。服装から察するに結構オシャレな女の子である。男と女では勝手が違う。私は誤解を招かぬよう視線を足元に落とし、どうしたものかと考えた。ちょうど私は次の駅で降りるので、立ち上がった際にそっと教えてあげることが出来る。

駅に到着した。私は立ち上がって女の子の横を抜けた。しかしその瞬間に躊躇してしまった。結局教えてあげることなく電車を降りた。私はホームの階段を上がりながら、これは正しかったのか否かをしばらく考えた。
女性が見知らぬ男に「チャック開いてますよ」と言われたら気持ち悪いだろうと思って躊躇したのだが、仮にこの女の子が何かフォーマルな約束を控えていたのなら、恥をかかないようにしてあげた方がいい。ましてや、私とこの女の子とはおそらく今後一生会うことはないだろうし。

女性の患者さんでこのブログをお読みの場合には、次回ご来院時にご意見を頂戴できればと存じます。

 

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